関連研究・資料解析

近代日本の日蓮主義運動

日蓮宗三派合同と分離独立

平成の摂受・折伏論をめぐって

明治・大正の激動の日本でその精神文化の再認識と宗門改革に集った人々の軌跡を追います。そこには、彼らが見た近代日本が辿った理想と苦悩の険しくも希望に満ちた一筋の道があったのです。激動の近代における「宗教」と「国家」のかかわりを社会学の見地から第1次資料を解析しつつ俯瞰し、新境地を開いた大谷栄一博士の研究成果からの抜粋です。

戦時体制下の昭和16年になされた日蓮宗三派・日蓮宗、顕本法華宗、本門宗の合同、そして敗戦後の分離独立その狭間に揺れる青年僧の夢と現実。激動の社会における旧来の宗門制度の苦悩、そして敗戦と復興・改革の気運とゆるやかな現実の圧迫。戦前・戦後の断層をたどります。かつての悲惨な戦争を2度と繰り返さないために、大戦下に生きた人々の直面した夢と現実、そして苦悩を私たちは知らなければなりません。

ここで論議されている摂受・折伏の語に配当された概念は、漢訳仏典中、両語に配当された漢訳語の中で、往々にして対立概念として運用・引用されてきた次の場合の当該語の運用に限定した議論です。すなわち、相手の言説や姿勢その他をおだやかに容れその状況の範疇で他と異なる己の信じる教えを維持しその弘教の機会をゆるやかに求め実行しようとする摂受、そして弘教の時機を見定めてその妨げとなるものや要素の非を強く指摘し速やかな改変と弘教の実現を目指す折伏、この二極に象徴して語られる仏法の伝持・弘教に際しての姿勢です。いずれも対立相手に面した時の布教姿勢の対応の相を象徴して述べたものですが、当然のことながら相手の生命存在自体を滅することは仏教の戒が禁じていますので、相手の存在への善導・尊重を前提とした仏法流布の緩急・剛柔の護持・布教・維持における対応を二項対立的に約した概念の運用語と見るのが仏教思想上の常識的な釈でしょう。この2つの布教姿勢について、仏典や日蓮遺文原典はどのように語っているのでしょうか。そして、それらは戦乱や抗争の絶えなかった人類の歴史の中でどのように運用されてきたのでしょうか。それは時を越え、異なるものとの出会いと拮抗の構造を浮き彫りにし、私たちに新たな課題を投げかけている問題なのかもしれません。

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映画「明日への遺言」によせて
岡田資中将の信仰と本多日生上人

太平洋戦争末期の昭和二十年、米軍機の爆撃によって多くの一般市民が犠牲になった。本年三月一日から公開される映画『明日への遺言』(藤田まこと主演)は、この空爆の際、撃墜した米軍兵士の処刑責任を問われ、B級戦犯として絞首刑になった岡田資(たすく)中将の法廷での戦いとスガモプリズン房舎で法華信仰と信念で最後まで若者励まし続けた姿を描く。原作は作家・大岡昇平氏の『ながい旅』。そして大岡氏の執筆の資料の一つが岡田中将が獄中で次代に託した遺稿集『毒箭』である。そこには本多上人の日曜講演会の聴聞、法華信仰への道を造った戸谷という顕本法華宗の僧侶、統一団主任講師・河合陟明氏への思いが綴られている。

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日蓮仏教のカイロスの模造/その発生と影響 時系列表示
 
  「日蓮主義運動の交雑物一考」 
顕彰・讃仰の熱気が作為的な歪みと制作者を見過ごした

A奉献本尊・伝宣化出土日持上人遺物関連資料
          関連事項@年譜対照資料

@奉献本尊と伝宣化出土日持上人遺物について 関連事項年譜
         大陸雄飛の夢から醒めた現代からの視点

廃仏毀釈によって引き裂かれた神と仏。その縁を結ぶべく構想された模造遺物がある。ここでは日蓮聖人伊勢神天奏の井戸と大正天皇即位御大典の折の奉献曼荼羅、伝宣化出土日持上人遺物の3点をとりあげます。明治から戦前までのこれら遺物の関連事項を概観しますと、これら遺物は互いに関連があることが分かってきました。それは王道楽土出現の冥契を示し、大陸政策の見えない未来を照らす大陸雄飛の夢へ誘いました。彼の時代の人々とってはそれらは「あって欲しい遺物たち」「あるべき遺物」であったと思います。しかし、それはあまりにも一面的な内部の領解にしか過ぎません。明治新政府の描く天皇像や国策への接近を構想した遺物。それは国家非常時に生み出され、識者・賢者の目さえも塞ぎ国家存亡の危機に際し日本は世界に雄飛する時を迎えている≠ニする日蓮主義的国体論のカイロスが、残念ながら然るべくして、応答する。歴史の屈折点に置かれた虚像を映す恐るべきカーブミラー=B時流に乗じ軽率な動機で映しこまれた虚像が誘う夢。事績顕彰からやがて遺物偽造へ、もはや真実を語る役割から完全に乖離した行為は顕彰でも信仰でも宗教でもない。そうした行為を生んだ歪み、その生成過程を追った典拠資料の時系列集成です。下記の項目文字をクリックするとそれぞれPDFへリンクします。