奉 告 文−日蓮宗管長 望月日謙

 慎み敬って南無輪円具足未曾有大曼荼羅御本尊、別しては勅謚立正大師宗祖南無日蓮大聖人の御前に於て、日謙恭しく献香拝跪し、以って日蓮宗、顕本法華宗、本門宗合同空前の盛儀を報告し奉る。夫れ惟るに法水元一味、本化地涌の流類、豈に?淡を分つて流派を異にするの理あらんや。然るに宗祖滅後、門下相別れて十指に垂んとするもの、その源、或は教学の領解を異にし、或は祖意恪遵の進退を異にし、或は化儀の摂折通塞を異にするに由る。然して各々その正とする所を守つて互いに相排擠し、歳月の久しき、遂に異宗の観を為すに至る。蓋し是れ護法の熟誠より出づる所にして、衷心ただ祖師に孝に、法に忠ならんと欲するより他なしと雖も、然もまた異体同心の祖訓に省みて忸怩たるもの有らずんば非るなり。況や万教統一の宗門、四分五裂して自らの力を分つに至つては其の可なるを知らざるなり。案ずるに教学の異解は宗旨の綱格に対する異義に非ず。祖判研究の分化発展にして唯学見の相違なるのみ。先師先聖既に微を穿ち粋を究め、理として尽さゞるなく、義として窮めざるなし。今日に於ては唯その学見の融合大成あるのみ。また祖意恪遵その進退を異にするは、その見る所、その守る所を異にするのみにして、扶宗護法の丹心に至つては即ち一なり。祖廟儼として仏燈明らかに、勅額燦として廟頭に輝くの今日、亦た当年の情謂に執して流派を別にするの要あらんや。更に亦た化儀の摂折通塞に至つては、当年武断圧政の下、偶々対処の化儀を異にしたるのみにして、耿々の信節尚ぶべしと雖も、聖代昭明の今日、なお敢えて孤節を守つて旧習に泥むは、聖明の徳沢に答うる所以に非るなり。況や宗旨学見倶に斉しきものをや。是れに由て之を観れば、昭和聖代の今日、殆ど分派別立の理由の大半を失えるが如し。各門祖をして今日に生ぜしめば、必ずや欣然として大同に就き、祖廟に還元せんこと疑いを容る可らず。況や曩に、今上聖天子、勅額を祖廟に下し賜うて宗門の中心を明らかにし、門下の和協を明示し給えるをや。
 顧るに明治三十五年及び大正四年、御門下各流合同の議あり。機動くと雖も時未だ至らず、遂にその実現を見ずして今日に及ぶ。然るに今や国家未曾有の時艱に方り、勃然として御門下教団合同の議起る今正に是れ其の時なりと謂うべし。乃ち昨秋以来折衝数次、惜い哉議を盡すに時を籍さず、全御門下の合同を見るに至らずと雖も、茲に且らく、本宗及び顕本法華宗、本門宗の三宗派合同の実現を見るに至る。人法茲に融し、宛然として御在世を今に移すが如し。何の悦びか之に如かんや。爾余の御門下教団、亦た悉来つて倶に祖廟を拝するの日必ずや近きに在らん。蓋し亦た聖代の余慶なり。
 乃ち今日謙、顕本法華宗管長井村日咸、本門宗管長由比日光と倶に、肝瞻を披瀝して仏祖の御宝前に拝跪し、慎んで三宗派合同の儀を言上し奉る。納等愈々仏祖の遺訓を体し、以って広宣流布の大願に邁進せんことを誓い奉る。仰ぎ願くは仏祖三宝先師先聖、冥鑑擁護を垂れ給わんことを。

    昭和十六年四月三日

                                               
 日蓮宗管長  望月 日謙