「 法 戦 」
法戦と云えば信長の昔、安土城の法論の様であるが、さに非らず、横浜に於ける米軍事法廷のことである。
(461頁)
法戦は存分に戦うて、いささかの遺憾もない。
気分は徹頭徹尾乱れたことがない。透徹に終始し得た。答えに窮した事なんて微塵もない。
(487頁)
大岡昇平氏”ながい旅”の冒頭
[岡田中将は、日蓮宗信者で、裁判を「法戦」と称した。天正7年(1579)安土城における、法華宗日bと浄土宗貞安の間に行われた「法論」をもじったものである。「組織ある一団(参謀長以下旧部下及び弁護団」をもって、余の統率の下に飽くまで戦い抜かんと考えた。(略)吾人は当初においては、消極的な斬死案であった。然るに米軍の不法を研究するに従い、之は積極的に雌雄を決すべき問題であり、わが覚悟において強烈ならば、勝ち抜き得るものであると判断した]