「宗教と国境」
「宗教と国境、という問題はよく出る問題だ。その検討には、歴史の実際と宗教哲学の両面からしなければならぬと思う。T君、世界の宗教の歴史に、何れの宗教にか如何なる時代にか、徹底的に超国境のものを認めるかね。」「回教は如何、同じ宇宙の真理を説くものではあるが、広漠たる砂漠に育ち、相手の民衆は単純なものである。天候気象は随分極端である。昼は酷烈な太陽の炎熱に喘ぎ、夜は降る星空に万斛の凉味によみがえる。岩山も風化して砂漠となる。その砂は風に運ばれて千里に移動する。こんなところでは同じ真理の解き方も微熱的は許されん─アラーの神に祈りつつ他民族に向かっては、コーランか剣か─とくる。国境を越えて万人等しくかも知れんがおっとりした法悦どころか烈々たる強制力の下にである。」「基督教を見給え、そのユダヤ教時代は論ずるまでもなく一民族のための教である。基督の手により初めて国際教と変貌した、パウロによりアレキサンドリヤ教会においてギリシャ哲学を迎え基督一年有半の教化の跡は神学の系体を作り上げた。理想は人対神であろうが、間もなく強大となった。羅馬法皇庁の教権を何と見る、超国家問題どころか、人と神との交渉の中間にさえそれが介在したではないか、ルーターの改革後も法皇庁と断交しても新たに各国王の保護下に入った。そして矢張り人々は教会を無視することは出来なかった。
数回に互るあの十字軍は一体誰により編成せられ、何の目的で遠征の途に上ったのか。
第一次第二次の大戦に当り神の意思に反すとの理由を以って祖国を守る従軍をば拒絶した者のあるのは流石であるが、議会は、そして国民はこれに対して如何なる処置をとったか。公権の剥奪、中には極刑もあった筈だ。勿論信仰以外に不純便乗連中もあったかも知れん、その点は正確な批判材料を持たぬ、が祖国の危急に当っては、極左党労働運動でも国是に合流するあの雰囲気以外に出るものはあるまい。要するに各民族共に他民族を神に咒詛しながら祖国のために剣を採るのが歴史の実際であった。唯その事実を直視せよというのだ。
昔も今も平和運動は起るが遺憾ながら実行は収めていない、けれども益々猛烈切実にその運動は展開せられねばならぬと願望する」。(中略)
釈尊は一体国家をどう見ておられたか、国王の位を捨てて沙彌となったら無論国家否認論者だと、そう簡単には論断されぬ。一国王として政治を以て限りあるものを護るより世界の衆生を相手に一大救済を志して、出家せられたるに相異ないが、その事は直に以て国家否認にはならぬ。修行中王舎城の頻婆沙羅王の王位を譲らんとした時も「王よ、王は善政を布いて四民を安んぜよ」として位を譲る事を止められた。
お経の中には至るところ国王、王子等を尊重されている。法華経に、歴史に在る人間弟子中第一番に成仏を允可された舎利弗の授記の中にも華光仏(舎利弗の仏名)は寿十二小劫ならん、王子となりて未だ作仏せざる時を除くとわざわざ王子に生まれると予言してある。大無量寿経で阿彌陀の前身たる法蔵菩薩にしても、それが仮令実在でなく説話にしたところで「世自在王の時に国王あり、道心を発し国を棄て王を捐てて行じて沙門と作る、号して法蔵という」となっている。また涅槃経長寿品に「如来はいま無上正法を以て諸王、大臣、宰相、四衆に附属す。この諸の国王及び四部の衆は応に諸の学人等を勧励して戒定慧を増上する事を得せしむべし」とあって、一般に超国家を以て高しと思うは、仏陀の法を国王に附属せられし精神を閑却するものである。世法仏法の融合がねらいであったと思われる。扇の要として国、国王を重視されたものと判断する。
序に戦争観にも入って見たい。現像世界の万象は、己の保持と発展の深刻なる本能を持っている、然らば常にこれを裁くものがなければ必ずやその利害は衝突する、各自が大乗無我に立てばそれが理想だが仲々それは難中の難である。活きた歴史は如何、過去も戦争、大なり小なりいまもまた戦争し且つ戦争を準備する、神の如く中正にして絶対の力を有するものの裁きなき限り頗る危険だ。大に平和関係と平和の理念の進展に待たねばならん。それでこそ宗教の選抜とこれが宣布を希望するのである。(中略)
仏陀の戦争観は如何。涅槃経金剛身品に、例の覚徳比丘を掩護して悪比丘軍を撃破した有徳王の談がある。正法を護るためには、刀杖折伏止むなしの教だ。これは大に僧兵等の悪用したものである。但し真意は正法即ち真理擁護のためには、戦いも辞せずとの訓だ。 正法即ち真理を護らんためには、要すれば力を以ってせなければならんとは常識でもよくわかる、但しくれぐれも侵略邪狂に利用してはならん。
徒にに近来日本仏教が、あまりにも権勢に近づきすぎたとか、民族意議を少しメ揚しすぎたとかいう説もあるようだがこれも偏見だ。同じ仏教でも民族の特性に応ずる如く消化するのだから、原版と外観差異を生ずるは当然だ。
(133〜139頁)