「秩父宮殿下への手紙」

 
御奉仕中は満足な御勤めも出来ず、御心配の種の山程御ありの両殿下に、私までがその御荷物の一つになっては勿体ない事であります。
 私の心境を申し上げます事が出来るならば及ばずながら種々な事が御座います、でもその機でもありません。ここには単に事件に関係した私の気持ちだけを一寸記してみます。
 旧東海軍事件の発端は、米軍の無差別爆撃にあります。これは明らかに現国際法規違反であります。我々は国際法の精神を破らずしてあの爆撃下の情況に即応する如く、私の方面軍司令官として権限内に於て法規を適用したのであります。
 猛烈な無差別爆撃に苦しめられながら、私は武将として米軍があの大戦争に本土空襲を計画した事には賛成なのであります。その方法は後日、彼の爆撃調査団が自身で認めた如くに上出来ではなかったのですけれど。況や将来──将来といっても一日の先が保証出来ない程度の将来戦に於ては愈々以て空爆が戦争の勝敗を決する鍵となります。なかんづく原爆とか細菌戦とか大変な事が次から次へと控えております。至急に国際法規は空戦法規に大手入れしなければ駄目なのです。が風雲を獄中に静観すれば情勢は何も彼も一括して大風呂敷に背負わせたまま諸民族を修羅の世界に追い込んでいるではないでしょうか。
 我々は幸いにして市ヶ谷でも横浜のどの法廷でも殆んど取りあげられなかった米軍の日本内地爆撃問題を徹底的に展開する事を許されたのです。この機会に吾人の犠牲に於て以上の問題解決の導火線を引き出し得たいなと願望したのですが、情勢変動の波は余りにも大きく国連は到底、今この問題を俎上に載せる力はないと思います。米軍としてもその切札である大空軍を西北に向かって整備する今日その線に沿うように兵器も操縦者の心構えも統一掌握しなければならんでしょう。小乗的の法にこだわる時機ではないかも知れません。
 曾て人間は第一次世界大戦後国際連盟を作り、第二次を顧みて国際連合を作った。今日の戦犯の裁判という新事も人間のこの線に沿う一努力で一応は認めなければなりません。その適否は歴史が判決を下すでしょう。
 裁判も各種条件から仲々公正な裁きはむずかしいです。でも、軍事裁判なら現在のような事に落ちつくのは矢張り当然でしょう。真正な裁きは神の法廷に出るときと、後年歴史家が筆で裁くときまで待たねば駄目と思います。
 民族国家は大敗北を吃したのであります。ここ数十年大任を受けて国家指導を御手伝いしていた当局連中の大失敗である事は勿論肯定します。が大和民族が積極的に侵略に出たとか、戦争の原因は日本一国が背負うべし等と脱線して果ては日本と名のつくところ何物を残すべきものはない、一切御破算で思想まで全部輸入品に切り換えるかの如き戦後の脱線無気力ぶりにはつくづく情けなくなります。然し、我れ等に知らされる与論は極めて御相手方的なもののような気がします。或は一時的な反動も多分に見えます。更に食料不足から生ずる変態もあります。でも灰を掻き廻せば確かに火種はありましょう。また正しき民族の火を燃やし直すのです。絶対に徒らなる旧態への還元ではいけません。けれども敗戦後の文武官を問わず指導者階級の行動は真に不適当です。
 国敗れて上将が求めて責任を取るのは当然過ぎる事ではありませんか。そして法廷では懺悔も躊躇もせぬ代わりに主張すべきは堂々と申し聞かなくてはなりません。
 今日一般国民諸君に自我があるとかないとか批判する前に、市ヶ谷で民族意志を完全に披瀝したかどうか顧みるべきだと思います。
 法律一点張りに指導したかの観ある米弁護士(A級戦犯の弁護人)の親切が或は仇になったかも知れないが、何故に東条の如く、他の一、二の先輩が勇敢に言論出来なかったかしらん。大川博士が精神異常さえなかったならばなあと、なお諦める事が出来ない気持です。
 青年等が比較的率直に戦い得る私を、特別な道を高踏するかの如くにいいます時には「勝てば将官なんて大きな勲章を頂戴する、負けたら命も差し出すのは当然だ」と青年向きの議論を出して大笑いするのです。歯に衣着せぬこの粗野な譬喩にも一面の理はあるのであります。
(115〜117頁)